本:『プラグマティズム入門』伊藤邦武 ちくま新書 (1・基礎づけ主義とプラグマティズム)

プラグマティズムは、「道具主義」や「実用主義」などと訳されている、哲学的な立場の名前です。

科学でわかることだけが真実だ、とか、どんなことにもその価値には優劣はない、のような考え方だと理解されることもあるようで、今ひとつ何だかわからなかったので、この本を読んでみました。

わかりやすい本なのですが、すんなりとは理解できなかったので、補助線などとともに書いておきます。

 パース

プラグマティズムの源流は、論理学の発展に貢献をしたアメリカの哲学者パースの考え方にあるようです。パースは以前読んだ本にあった、「アブダクション」を提唱した人です。

デカルトが考えた正しさ

パースは、科学の発展において重要な役割を果たしている、デカルトの考え方に問題があると考えていたようです。

デカルトの時代に科学は生まれましたが、その際、「科学は何故正しいと言えるのか」が問題になり、デカルトは以下のように考えたようです。

  • 思考は、私達の頭の中の「観念」の集まりでできている。
  • 正しい物を知りたいのなら、その「観念」の中から、正しい物だけを見つけ出す方法がわかれば良い。

そこで、デカルトはその観念を片っ端から疑ってみました。
その結果、以下のように考えます。

  • 「観念」には、感覚に由来するものと、由来しないものがある。
  • 感覚は間違うこともある。(幽霊の正体見たり枯れ尾花)
  • しかし、全部を疑ってみても、「私」という感覚がある、ということだけは疑えない。
  • ということは、外界とは関係なく、直接に「理性で明晰かつ判明に」わかる観念は、正しいものなのだ。
  • であれば、現実とは関係なく、真実であることがわかる数学の言葉で書いた科学は正しい

そしてそれ以来、「正しさの根拠」として、「直接正しいことがわかること」がその候補とされてきました。こういう何か正しいものに基礎づけてもらうことを、「基礎づけ主義」と言うようです。

反デカルト

ですが、パースは「直接正しいとわかること」がその他のものの正しさを保証する、という考えを否定して、真理というのは色々な「正しいと信じていること」(「信念」)が互いに支えあっている状態だと考えました。

そして、この信念が事実と合っていることを、みんなで互いに確認ができるようにすることが「科学的な方法」で、それを積み重ねれば、どこかにある「真実」にたどり着けるはずだ。と考えた様です。

一人に閉じ込められていた信念や観念を、みんなの領域に引きずり出す、というのは、一つの考え方のパターンなのかもしれません。

ジェイムズ

プラグマティズムを引き継いだジェイムスは、パースの考え方を引き継ぎつつも、真理を人間の価値観から独立していない「荒っぽく言えば行為のための有用、ないし有効な手段」だと考えたそうです。

パースとジェイムズの違いは、パースは、科学とは人間と関係なくどこかにある不変の真理に近づき続ける活動だ、と考たのに対して、ジェイムズは、変化してしまっても、今、役に立つものが真理だ、と考えているようで、結構違う考え方のように思えます。

中性一元論

しかし、「信念と現実の”正しい”対応」には人間の価値観がどうしても入ってしまいます。だとしたら、信念と現実、心と物、を簡単に分けることなんてでできません。その結果「中性一元論」という考え方にたどり着いたようです。

心身二元論が世界を「物」と「心」に分けたり、唯物論が「物」だけが本物だとしていますが、実のところ「物」も「心」もどちらも人間の経験としてしか現れません。そういう物でも心でもない「中性的なもの」を、人間が関係性のパターンを見て心や物に分けているのだ、という考え方のようです。

この本はこのあとも、デューイ、クワイン、ローティ、クーンなどが続きますが、力尽きたので、次の機会に…。