『数学の想像力 正しさの深層に何があるのか』 加藤文元 筑摩選書

数学の思想史というか、哲学史の本です。序盤は数学は音楽に似ている、などの話で今ひとつピンと来なかったのですが、中盤からは「正しさ」についての考え方の変化が語られてゆきます。

学校の数学でも「証明」によって正しさを示していますが、これを始めたのが紀元前5世紀の古代のギリシアで、それは他の文明には見られない特異なことであった様です。

直観から証明へ

もともと古代ギリシアでも、正しさの根拠は、直接正しいことがわかることでした。

証明が重視されるようになったのは、三平方の定理で有名なピタゴラス学派が、真実は目に見えない天上の世界にしか無いと考え、それを知る方法として数学や証明を利用したことなどに始まるようです。

ところが、三平方の定理を使うと、整数や分数では表せない数、無理数が出てきてしまいます。そのためギリシア人は、数を計算することを諦めて、証明を重視するようになっていったようです。

そもそも幾何学は、建築や土地利用などに結びついているわけで、長さを出さないことには建物は立ちません。労働は奴隷に任せて、議論や戦争だけしていたギリシア市民のあり方が、計算しなくてもすむ数学を可能にしたのではないか?と思ってしまいます。

そして、証明重視の数学が、いくつかの公理から全ての定理を証明する、ユークリッドの『原論』に行き着き、その後の様々な考えに影響を与えてゆくことになります。

ですが、原論の証明の元となる「公理」は、誰もが疑い得ないと思うことに支えられていますし、推論の各ステップも、直接正しいことがわかることに根拠があるのでしょう。ずっと後のデカルトも、正しさの根拠を「疑い得ないもの」に見いだしていますし、論理主義も数学を疑えない「論理」にしようとしたわけで、直接正しいことがわかる、というのは正しさの根拠として生き続けているのでしょう。

 数学の算術化

古代ギリシアの数学はその後アラビアに移り、位取り記法のインドの計算法などと結びつき、計算の方法とその正しさの証明をセットにした「代数学」が誕生することになったそうです。こうして数学は、計算を重視する算術化の方向に向かい始めたようです。

こうした成果が12世紀以降ヨーロッパに輸入され、16世紀には、幾何学を計算で扱うデカルトの解析幾何や、ニュートン、ライプニッツの、無限小の計算を扱う微積分が生まれました。

ですが、彼らは無限小の問題についてあまり気にしていなかったそうです。記号論理学の開拓者であるフレーゲも、パラドクスについてあまり気にしていなかったという話もあり、数学や論理を発展させてきたのは、厳密さばかりではないようです。

ですが、こうした態度は「正しさ」についての根拠を欠くとして、バークリー司教などから激しい批判を受けたそうです。こういう批判が聖職者から出ているのが、何だか面白いところです。正しさ、というのは信仰の一種なのでしょうか。

 正しさはどこに?

こうした批判に対して、数学は19世紀に基盤を整備してゆきます。

それが、どんどん小さくすればどんどん極限に近づく、イプシロンーデルタ論法ですが、この考え方、実は古代ギリシア末期のアルキメデスにより既に出されていたもので、アルキメデスは「与えられたどんな数よりも小さい数ができる」ことを使って、円の面積の公式を証明していたそうです。

結局、アキレスと亀のパラドクスは解消されたわけではありません。では以前とは何が違っているのでしょうか。

19 世紀、フランスでは、自然哲学から神を取り除いて、人間と自然との直接的な関係にした「啓蒙主義」や、その反動として現れた、真理を相対化する「ロマン主義」という考え方が起こり、こうした考え方に影響を受けながら、数学や科学は、対象そのものを扱うのではなく、人間が作ったモデルに対象を写しとって、その性質を調べるものになっていったようです。

つまり、人のすることになった、と言っても良いのではないでしょうか。

であれば、モデルを記号を動かすルールにすることで、ルールに従っているかどうかで正しいかどうか判断できるようになりますが、ただひとつの正しいモデルがあるわけでもなく、モデルが正しいかどうかをモデル自体を見て決めることはできなくなります。

数学者や技術や社会によるモデルの選び方として、正しさの問題は残っている、と言うことなのでしょうか。