本:『ソフィスト』田中美知太郎 講談社学術文庫

「ソフィスト」というと、偽の知識で人を欺く人、というような意味になってしまっていますが、古代ギリシアのソフィストは、お金をもらって道徳を教えることを職業としている人たちだと考えられ、そういう人たちを必要とする理由があったようです。

 

ソフィストが必要とされた時代

古代ギリシアの都市国家アテネでは、有力者とそうでない人たちの差を埋めるため、誰でも政治に参加をすることができる政治体制である、民主主義を採用することになりました。

その結果、演説などの能力がなければ、国政で活躍することができなくなりました。そこで、裕福な有力者の子息たちは、そういう能力を教えてくれる、ソフィストを必要とすることになったそうです。

しかしこの民主化の結果、責任の所在が曖昧になり、ペロポネソス戦争ではアテネは強硬論者に惑わされてシチリア遠征を決定したものの、大失敗に終わります。

 道徳の危機

こうした時代を経るにつれ、国の法律や道徳に対する疑念や不信が人々の間に広がったようです。

結果、「青年たちは自国の父兄や長老の言うことには耳を傾けず、好んで外来のソフィストの話を聴くようになり」、これがソフィストに対する悪い評価の原因のひとつとなったようです。

そこで、ソクラテスやプラトンは国家ごとの違いなどを超えた道徳について考えることになり、どこかに存在する本当のこと、「イデア」のような考えに至ったようです。

これに対してプロタゴラスは、「国法や国民道徳は仮象的なものではあるが、仮象の他に別に真実や自然があるわけではなく、仮象すなわち真実在であり、万人の思いなしがそのまま真理なのである」と主張したようです。

普遍的な道徳が実際にあるものだとするのなら、いい加減な考え方かもしれません。しかし、絶対に真なもの、などというものを求めるのだって怪しい話です。

こういう立場は、唯名論やプラグマティズムなどとなって、哲学の対立軸として議論され続けているということでしょうか。

 議論の技術

こうしたソフィストたちの技術は、無理矢理に相手を説得するための技術ばかりだったかといえば、そうとも言い切れないようで、弁論の形式に関する様々な研究の土台ともなったようです。彼らの存在により議論の方法が発展してゆくことになり、プラトンの問答法や、アリストテレスの論理学につながることにもなりました。

 最後に

この本が出版されたのは 1941年戦争の直前です。冷静に書かれた文章ですが、戦争までの時代を経た後の反省がにじみ出てくるような、そんな文章でした。

哲学には、何で議論しているのかよくわからないものもありますが、古代ギリシアの発端から切実な問いを含んだものもあるのだと思います。