『言葉をおぼえるしくみ』ちくま学芸文庫 今井むつみ 針生悦子

英語をはじめとする印欧語では、a や the 等の冠詞を付けたり、付けなかったりすることによって、材質と物体を分けていますが、日本語では、材質を表す言葉も、物体を指す言葉も、言葉の形の上では明確な違いがありません。
このような言葉の違いに対して、「材質と物体を分けていない言語の話者は、その違いを理解していない」と、哲学者の「クワイン」という人は言ったそうです。さて、本当なのでしょうか…。

また、中国語の動詞は日本語(5段活用)や英語(過去形、三人称)などのように、変化をしません。そのため子供はいつも同じ単語を聞くことができるので、中国語が母語の子供は動詞の獲得が早い、という意見があるそうです。さて、本当なのでしょうか?

 

本の内容

この本は、人間が言語を獲得してゆく仕組みを、認知心理学という手法により実験によって調べることにで、明らかにしてゆこうとしたものです。

認知心理学というのは、だいぶおおざっぱにいうと、人の心を、ある特定の「情報処理 [1]2016/1/25 追記 機能」を持ったものであると考えて仮説(モデル)を立てて、それが正しいかどうかを調べられる入力を人間に与えてみて、実際に想定した仮説(モデル)にあった出力が得られるかどうかを確かめることで、心の仕組みを探る、という心理学の手法です。その考え方や、発生の過程において人工知能と深い関係があるようです。

さて最初に挙げた二つの説は、実験によるとどちらも怪しいようです。

まず、日本人の材質の概念ですが、確かに言葉で区別がついていないために、材質の言葉を物体の名前だと思ってしまったり、物体の言葉を材質の名前と間違えたりすることはあるようです。しかし、一度材質だと思った言葉は、材質の名前として使い続け、物体の名前だと思った場合には、物体として使い続けるようです。つまり、言葉で見分けがついていなくても、違うものとして理解しているだろう、ということです。

次に中国語の動詞学習では、型が変化しないことが、かえって動作なのか名前なのかをわからなくしていて、学習時には高度に文脈に頼って推測していることを示すような実験結果が出ている様です。

他にも名詞、動詞、形容詞、助数詞、擬態語、などをどのように学習しているのかを、いろいろな実験で探ってゆく、その方法と結果が述べられています。
たとえば結果だけをいくつか挙げると…。

・名前は、優先的ににクラス(概念)の名前だと思い、固有名だとは思わない。ただし、対象が生物の場合には、固有名だと思いやすい。
> 生物・非生物の見分けは、言葉以前から持っている分類だと思っていいのかもしれません。

・クラスの中でも、まずは同じ形に付けられた名前だと思う。(形バイアス)

・すでに知っている人工物に、名前をさらに与えられた場合には、下位のクラスと認識する。

・いろいろ列挙されたものに名前を付けられると、上位のクラス(「猫」に対して「動物」等の上位の概念を表す言葉)として受け取る。

・上位のクラス(概念)は、共通する項目がわかりにくいため、学習にはてこずる。上位概念からだんだん分かれてゆく、という学習をすることはない。

・よく使われる語が必ずしも覚えやすいわけでもない。むしろ何を指しているのかが分かりにくかったりする。

・子供が実際に使っている言葉が、その内容を正確に理解して使われているとは限らない。
>なんとなくで使っちゃう言葉があるのは、大人になってからも同じかもしれません。だからこそ、言葉の意味がだんだんずれていったりするのかもしれません。

・子供は、形容詞が文法的に名詞とは違うものだと認識する。形容詞として与えられたら、それを名詞として誤用することはない。しかし、それが何なのかの情報は十分には与えられないため、学習には時間がかかる。

・一度にたくさんの語を、なんとなくわかるレベルで獲得することが、差異の体系を構築するのには有効。

・言葉が持っている「属性」と、「生得的に見分けられるもの」、が常に対応しているとは限らない。

などなど…

 

感想

この本を読むと、具体的で断片的な実際の会話を足掛かりにして、言葉という複雑な体系・ルールを学習してゆくことのむずかしさ、不思議さが感じられます。中国語の動詞判断などは無理やりに見えますが、それでも何億人もの人がマスターしちゃいます。

言葉が先なのではなく、物、生物、素材、関係、動作、属性などの体験がすでにあり、共有されている中で、使われた言葉をかなり大胆なルールで対応させつつ体系を作り上げ、逆にその体験が言葉で構造化されてゆく。そんなことが起こっているということでしょうか。

だとすると、言葉を獲得する機械には人間が持っているような仕組み、つまり物や生物や素材を見分ける機能と、それを大胆なルールで言葉に結びつける、二つの機能が必要になるのかもしれません。そして、言葉がどんどん変化してゆくことを考えると、完成した言葉を持ってもだめで、そういう獲得する仕組みを持たないと、言葉を自在に使うことはできないのかもしれません。

もしかしたら、基礎的な体験のレベルでは言葉を持たない動物との差はあまりなく、言葉との対応付けルールの部分だけが人間特有だったりするのでしょうか。

また、対応付けのルールは、少数の原理に収れんするのでしょうか?言語(英語・日本語・中国語…)によって、こうもバリエーションがあるということは、何かそれらをまたいだ共通の原理があるようにも思えてきます。

などと、いろいろ考えてしまうとても面白い本でした。

References

References
1 2016/1/25 追記