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2016年に読んだ本-英米の哲学

昨年読んだ本のふたつ目。英米哲学、と呼ばれるものを中心に。

 ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタインのウィーン』『ウィトゲンシュタイン』マルコム

哲学の本をいくらか読んでいると、考え方の内容を理解するのも大変ですが、わかってもピンとこないアイデア、というのが沢山出てきます。その理由は、それを生み出した動機や社会環境、それまでに出てきていたアイデアの歴史が見えてない事が原因のようだ、と思えてきました。

そういう意味で『ウィトゲンシュタインのウィーン』は、ウィトゲンシュタインの哲学の動機を想像できるような、良い本だと思います。それは、過剰な装飾やタテマエばかりの、世紀末のウィーンで、人間は本当に何を言えるのか、を本気で考えたということのようです。

そして『ウィトゲンシュタイン』は、ケンブリッジ大学時代の、ウィトゲンシュタインの弟子、マルコムによる「思い出」です。とにかく真面目で真っ直ぐで、少しの妥協も許さない、それだけに、一緒にいるのは大変だとは思うけど、読み進むに連れて、何だかウィトゲンシュタインが好きになるような文章でした。

英米の哲学『一冊でわかるヨーロッパ大陸の哲学』『英米哲学史講義』『プラグマティズム入門』

プラグマティズム入門は、いくつか書きました。

哲学を広く紹介する入門書などを読んでいると、多くの本は「全体」を扱っていないことに気が付きます。

『一冊でわかるヨーロッパ大陸の哲学』によると、現代の哲学は大陸の哲学と、英米哲学(分析哲学)の2つの流れに別れてしまっているようで、そのことが関係しているようです。

(欧州)大陸−英米と名付けられてはいますが、この本で自動車を前輪駆動車と日本車に分類するようなものと言っているように、必ずしも場所ではっきりと分けられるものではありません。

現代の英米の哲学は、フレーゲらが生み出した、現代の論理学を正面から受け止めて、分析哲学という哲学の流れの中心となりました。そして今でも、論理的に言えることはなにか、どこまで言えるのかを突き詰めようとしているようです。

一見、それ以前のホッブス〜ベンサムあたりの流れとのつながりがわかりにくかったのですが、人間が実際に出来ることは何なのか、を重視する感覚は連続しているような気がしています。

『ホッブス』『蘇るリヴァイアサン』『リバイアサン1』ホッブス、『人性論』ヒューム、『市民政府論』ロック

『ホッブス』についてはなんとか書きました。
光文社のリヴァイアサンはまだ1しか出ていません。
ヒューム『人性論』はダイジェスト版です。(人生論ではなく、「人の性質の論」です。)

というわけで、イギリスの哲学への興味が強まり、読んでみたのがこれらです。

近代のイギリスの思想は古代ギリシアのアイデアを直接引き継いでいるかのように感じられました。特にホッブスが、望ましい国家像を構築してみせる様子は、プラトンが『国家』や『法律』で言葉の上で仮想的な国家を作って見せたのを思い起こさせられます。

その後も、近代のイギリスの哲学は、人間の出来ることを問い、その結果としてどういう国や社会を作るべきかを示す、という二本立てで進んでいくようです。

 論理学『一冊でわかる論理学』『言語哲学大全1〜4』『ダメットにたどり着くまで』

後ろの5冊は完全に消化不良です。いつかそのうち、の思いを込めてここに…。『言語哲学大全1〜4』は「言語哲学」という名前ですが、素人的には論理学の本です。ごちゃごちゃした議論が延々と続きますが、言葉できちんと語れることは一体何なのかを、考えているのだということでしょう。

そういう意味でこの流れは、プラトン、アリストテレス以来の哲学の流れの一つなのでしょう。

2016年に読んだ本ー古代ギリシア

昨年は、私にしては沢山読んだのですが、消化しきれなかった結果、こういうことになりました…。出来る範囲でここに…。

このエントリは古代ギリシア中心に。

アリストテレス『弁論術』、『ニコマコス倫理学』

『形而上学』『心とはなにか』を読んで、アリストテレスへの興味が深まって読んだのがこの二冊です。とくに『ニコマコス倫理学』は、心を機能主義的に捉えた時に、倫理というものをどう考えたら良いのかを、さらに人工知能の倫理はどういうもので有りうるのか、を考える材料になるのではないかと感じています。

対して弁論術は、弁論における様々な要素を検討しています。一方で形而上学のように不動のもの、などという話をしていながら、もう一方では弁論などの確定しない法則を観察・分析して記述する。柔軟で自由な思考に圧倒されます。

プラトン『国家』『プロタゴラス』『ソクラテスの思い出』『テアイテトス』『プラトンを学ぶ人のために』

プロタゴラスはなんとか書きました。

アリストテレスを読むうちに、その源流であるプラトンについての興味もでてきたので、いくつか読んでみました。特に『国家』を読むと、アリストテレスの扱っている論題の多くが、プラトンによって示されたものであることがわかります。プラトンの結論には色々と疑問もありますが、問の立て方や解決方法のアイデアは流石です。

プラトンは厚さの割に読みやすいのですが、内容の消化はなかなか大変なので、『プラトンを学ぶ人のために』も補助線として読んでみました。複数著者の本のため、品質は色々でしたが、助けになる本でした。

古代ギリシア『歴史 トゥキディデス』『ソフィスト』『民主主義の源流』

『ソフィスト』についてはなんとか書きました。

アリストテレス、プラトンから、古代のギリシアがどういう世界だったのかに興味を持って読んでみたものです。特に、ギリシア世界の全体を巻き込んで、30年もの間スパルタとアテネが繰り広げたペロポネソス戦争を、同時代人のトゥキディデスが書いた『歴史 トゥキディデス』の迫力には圧倒されます。

本:『プラグマティズム入門』伊藤邦武 ちくま新書 (1・基礎づけ主義とプラグマティズム)

プラグマティズムは、「道具主義」や「実用主義」などと訳されている、哲学的な立場の名前です。

科学でわかることだけが真実だ、とか、どんなことにもその価値には優劣はない、のような考え方だと理解されることもあるようで、今ひとつ何だかわからなかったので、この本を読んでみました。

わかりやすい本なのですが、すんなりとは理解できなかったので、補助線などとともに書いておきます。

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マンガ 7.c「神経神話3」

さらに神経神話の続きです。

骨相学の話は本などで割とよく見かけます。科学者の発言であっても、科学的にわかっていること、そこから言えること、もしかしたら言えるかもしれない仮説、日常生活的な本人の考え、などの各々のコンテキストがきちんと分けられて発言されたり、伝えられているとは限りません。
さらに、伝言ゲームで尾ひれがついて、神経都市伝説を作ってゆくのでしょうか。

この話は準備中ですが、漫画のページはこちら

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『数学の想像力 正しさの深層に何があるのか』 加藤文元 筑摩選書

数学の思想史というか、哲学史の本です。序盤は数学は音楽に似ている、などの話で今ひとつピンと来なかったのですが、中盤からは「正しさ」についての考え方の変化が語られてゆきます。

学校の数学でも「証明」によって正しさを示していますが、これを始めたのが紀元前5世紀の古代のギリシアで、それは他の文明には見られない特異なことであった様です。

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