論理的な推論や物理学では、あらかじめ決められたルールや法則に従って、推論や計算を進めることで結論を導き出したり予測をすることができます。
では、そのルールや法則はどうやって作り出したらいいのでしょうか?
「すべての人間は死ぬ」や、「f=ma」などの、従うべきルールはどうやって見つけられるのでしょうか。
それについて説明しようとしたのが、パースという人の唱えるアブダクションという考え方です。
内容
通常、論理というと、最初に挙げたような前提と決まったルールに従って結論を導く推論(演繹的推論)や、今までの人間はすべて死んでいることから「すべての人間は死ぬ」というルールを導き出す、「帰納的推論」のことを指しています。
では、それだけで、f=ma のような法則が導き出せるのでしょうか。
パースはそのようなことはないと言います。演繹的推論では、法則に基づいてそこから起こりうることを予測できますが、その法則がどうやってできたのかについては説明ができないからです。
そこで重要になるのが「仮説」です。
まずは、「多分こういうルールなんだろうな」という、あたりを付けてやること。これが重要で、この仮説を作ることを「アブダクション」と呼びます。そして論理は、演繹、帰納に加えてこのアブダクションの3点セットで考えなくてはいけないと言います。
特に科学における論理は、これらを使った「アブダクション→演繹→帰納」の3ステップで実行されるべきなのだと言います。この3ステップは、以下のようになります。
Step1.まず、対象を観察した結果として仮説(新ルール)を立てます。
Step2.次に、この仮説(新ルール)を使って、そこで起こりうることを、推論(演繹)します。
Step3・そして最後に、その推論の結果が実際に起こることとあっているかどうかを確かめます。(帰納)
普通に言われている科学の手法と同じようですが、多くの場合、アブダクションは重要性を認められないか、論理の外側におかれています。
たとえば、仮説演繹法(ポパー)では、演繹だけを論理とするため、Step1は論理で扱う対象の外側としてしまいます。(さらにStep3 の実験部分まで演繹とされてしまいます。)
また、「帰納主義」と呼ばれる立場(ベーコン・JSミル等)では、「事実が自ら語る」として、仮説の生成をむしろ否定します。科学以前の時代に、頭の中だけで考えた法則(太陽は地球の周りをまわっている、もしくは円運動をしている、など)が独り歩きしていたことの反動だったのでしょうか。
それらに対して、「仮説」を立てるところからが論理なんだ、というのがパースの主張です。なぜかというと、「論理というのは、どのように考えるべきかについての方針を示すものだから」です。まずは適切な仮説を立ててみること自体が、正しい推論をするための重要なステップなので、仮説は立てなくてはならないのです。
では、仮説はどうやって建てるのでしょうか。その方法を以下のようなものだとしています。
1. 説明したい、驚くこと(X)を見つける。
2. AならばXという逆向きの推論を見つける。
3. 1と2を合わせて、多分Aだろう、と思う。
実は、このように、Xという結果から、AならばXが起こったと思うような推論は、「後件肯定」という間違った推論です。お金がないからと言って、盗まれたとは限らず、落としたのかもしれないし、元から持っていないからなのかも、使っちゃったのかもしれません。同じ結果を起こす原因は一つとは限らないのです。
しかし、そのような推論をあえてすることで、不確かだけどありそうな「仮説」を作り出すのです。
最後に、初めはパースの言う帰納とアブダクションの違いがはじめよくわからなかったのですが、パースは、ただ単に帰納がなされることはないと考えている様です。事例から「すべての人間は死ぬ」を導き出すには、まずはそれを仮説として作られなくてはならないので、必ずアブダクションもしているということの様です。
感想
『言葉を覚える仕組み』という本によると、人間は「AならばB」という経験から、「BだからA」を推論するような間違いをするのですが、たとえ ばヒヒなどはそういう間違いはしないそうです。つまり、このような間違った推論をしてしまうところに、人間の創造力の原動力があるのかもしれません。
また、論理も物理法則も、チューリングマシンが実行する無数にあるカード列の一つに対応付けできると思いますが(人間はすべての実数を扱えはしないでしょうし)、人工知能が本当に意味を操れるようになるには、たくさん作られるカード列の中から、有意味なものを選び出せる必要があるかもしれません。そしてそれを、実現する方法のヒントがアブダクションにはありそうです。
ただし、問題は仮説の作り方です。パースが示す仮説の立て方だけで、物理法則のようなものが見つかるのかというと、少し難しい気がします。逆向きの推論はいくらでも考えられますし、「驚くこと」を見つける(選び出す)方法もよくわかりません。普通はリンゴが落ちても驚いたりしません。
論理学者のラッセルは、「仮説を系統的に作り出すルールはない」と考えている様です。仮説をチューリングマシン(コンピュータ)で作り出すには、何らかのワザが必要になるのでしょう。チューリングマシンは、ルールに従うことしかできない訳ですから。
なんとなく、生得的なもの、置かれた環境における入出力、先人の知恵、ヒューリスティクス、まちがった適用などがカギになるような気がしています…。