「数学」タグアーカイブ

[再アップ]10.e 論理学 5 プラトンと問い

人の持つべき良い性質とは何か、その考えは正しいのかどうか、などの議論を投げかけたソクラテスは民衆の裁判により死刑になります。このことにプラトンを始めとした多くの人がショックを受けたようです。

そして、多くの人がソクラテスのしようとしていたことは何だったのかを考えた結果が、「哲学」となっていったようです。

13.j コンピュータの歴史10 微分方程式

実際に車輪を走らせて積分をする計算機、微分解析機は完成しましたが、原理上、計算できる式の形に制限があったり、式を変えると機械を組み変えなくてはいけなかったり、実際に走るがゆえに誤差が発生してしまったりと、使いこなすのは難しい代物だったようです。

続きを読む 13.j コンピュータの歴史10 微分方程式

マンガ 13.h コンピュータの歴史8 階差機関・解析機関

お金の計算の様に、記号を使っで計算を行う計算機は「デジタル計算機」といいますが、デジタル計算機を使って数表を簡単に作ろう、というチャレンジもされていました。それがチャールズ・バベジによる「階差機関」「解析機関」です。

続きを読む マンガ 13.h コンピュータの歴史8 階差機関・解析機関

マンガ 13.g コンピュータの歴史7 アナログ計算機・デジタル計算機

対数の計算がもともと物の量と結びついたアイデアだったこともあり、ものの量の関係を使った計算機「計算尺」を生み出すことになります。この様に、物の量の関係を使った計算機は「アナログ計算機」といいます。

続きを読む マンガ 13.g コンピュータの歴史7 アナログ計算機・デジタル計算機

『数の大航海』志賀浩二/『小数と対数の発見』山本義隆

スコットランドの発明家、ネイピアによる「対数」の発見という、同じ題材を中心に扱った二冊です。

「対数(log)」は高校の数学で習うと思いますが、指数関数の逆関数で、特に底が10の対数である常用対数は、数の桁数に対応する関数のようなものです。

なぜそれが、何冊も本が書かれるような題材となるかと言うと、「科学のための数学」「ヨーロッパの数学」である「解析学」を作り出すのきっかけとなったからのようです。

二冊のうち、『数の大航海』は数学の歴史の中での位置づける観点が色濃く、対数がその後解析学をどのようにに発展させることになったのか、まで扱っています。

対して『小数と対数の歴史』はタイトル通りの、小数がヨーロッパで使われるようになったことと、対数や科学との関係を主に扱っています。

ヨーロッパの数学「解析」

古典的な数学は大雑把に言って、古代ギリシアの幾何学、アラビアの代数、ヨーロッパの解析の順に発展してきたようです。

アラビアの代数は、相続の計算などお金の計算をきっかけに発展したのに対して、ヨーロッパの解析は、特に占星術のための天体観測の結果を扱うための数学として発展をしたようです。

観測結果は、お金とは違って最小単位(1円)がなく、どこまでも精密にできますが、このような数を扱うための数学が、「解析」となってゆく訳です。

そのため、どこまでも精密に表現をするための「小数」と、その計算(掛け算)を簡単するための「対数」とが、同時に関連しながら利用されることになりました。

対数には、以下のような関係があります。

log(a) + log(b) = log(a * b)

つまり、対数を使うと、掛け算を足し算に変換することができます。そのため、とても桁の多い小数同士の掛け算が、対数の表を引くことと足し算をすることで、ずっと簡単にできるわけです。

そして、実用を目的としているために、必要な桁数を具体的に計算をして決めるテクニックが強化されていったようです。

ところがその対数、実用として役に立つにも関わらず、掛け算や足し算だけでは表現できない、「超越関数」という、それまでの数学からはみ出た性質を持っていました。しかも、それまでも知られていた三角関数のように、具体的に対応するものがありません。

このような抽象的なものに、実際に計算をして数を決める様々なワザで挑んだ結果、小数から実数の概念を生み、級数展開などを使って偏執的に無限に切り刻んで調べる、ヨーロッパの数学「解析」が発展するきっかけとなったようです。

さらに、実用のために対数を「一覧表」にしたために、それが「数同士の関係」としてとらえられ、「関数」の概念の形成にも影響を与えたようです。関数は、どんな計算方法であるかではなく、数が対応さえしていればなんでもよい、より抽象的なものになっていったようです。

さらに、『数の大航海』によれば、負の数の対数の対数を中心にして、複素関数論ま で発展していったようです。

分かっていなかったな…

私は、高校時代(だいぶ経っているのですが)の解析を、微分・積分の式の変形として、何となく代数の延長のように扱っていたようにおもいます。

関数を偏執的に切り刻んでどうなっているのか調べるような解析のイメージは薄く、その後の大学の数学でも、ずっとあいまいなままだったように思います。

こういう動機がわかっていれば、もう少し理解できたのではないか…とか、今更ながらに思いますが、おそらく読んでも理解できなかったのでしょうね…。

『数学の現象学〈新装版〉』鈴木 俊洋

現象学という哲学の一分野があります。
「事象そのものへ」というキャッチフレーズが示す通り、人間が実際にしている体験(現象)だけに基づこうとする哲学の手法で、その現象学を始めたのが「フッサール」です。

現象学は、のちにハイデガーなどに、実存などの問題意識を持って引き継がれて行きますが、一方で、フッサールの出発点は数学だった、とも聞きます。

フッサールが生きたのは、カントールやデデキント、フレーゲやラッセルと同じ時代。
この時代、数学とはなにかについての考え方は大きく変わり、公理によって定式化され、論理学は記号論理学になってゆきました。

つまり現象学は、数学とは何か、という議論と大いに関係をするなかで生まれてきたらしい、ということです。

そこで読んだのがこの本『数学の現象学』です。
この本には、フッサールが数学の何を問題にして、どのように考えた結果、現象学が産まれたのかが書かれています。

続きを読む 『数学の現象学〈新装版〉』鈴木 俊洋