『中世の覚醒』リチャード・E・ルーベンスタイン ちくま学芸文庫

中世の哲学、いわゆる「神学」や「スコラ哲学」には、何だかとっつきにくいものを感じていました。そのイメージを払拭できないかとこの本を読んでみたのですが、思った以上に面白い本でした。

中世のヨーロッパははアリストテレスの説が大好きだったようです。それなのに、キリスト教の教えと衝突するその説はそのままではおおっぴらに研究できません。

そのため、あの手この手で、言い訳の説を生み出す側と、それを異端として排除する側の、わけのわからない論争が延々と繰り広げられました。それが、中世哲学だったようなのです。

12世紀ルネサンス

ギリシアを飲み込んで、古代の地中海世界を席巻したローマが東西に分裂したあと、 古代のギリシアの思想は、イタリアを中心とした西ローマからは消え、ギリシアを含む東ローマからは異端として追い出されました。

しかし、それらの知識はアラビアへと渡り、研究をされることになります。イスラム世界では、聖職者でなければ特に制限なく研究をする自由があったようです。そのかわり聖職者の知識には影響せず、時代が悪くなるにつれて、失われていったようです。

そうした古代ギリシアの著作が 12世紀前後に、西欧に流れ込みました。イベリア半島やシチリアで、アラビアの注釈がつけられたそれらが翻訳されたその時代は、「12世紀ルネサンス」や「大翻訳時代」と呼ばれます。その中にアリストテレスの著作が含まれていました。

それまでの西欧にとって、古代ギリシアと言えば、プラトンの思想が改造された「新プラトン主義」のことでした。そこに現れた、ポジティブかつ論理的に世界を解釈するアリストテレスの思想は、衝撃的だったようです。

西欧のキリスト教は異端や異教徒に厳しく、知識人はキリスト教徒でなくてはなりませんでした。しかし、アリストテレスの思想には、キリスト教と衝突する部分がたくさんあります。

因果の法則に沿って世界が動いているという考えは、世界に始まりがないことを導き、神による世界の創造や奇跡を否定することになります。人間の自由意志も否定することになり、キリスト教徒としては受け入れがたいものだったようです。

にもかかわらず、彼らはアリストテレスをあきらめなかったようです。何とか勉強するために、アリストテレスの考えとキリスト教の考えを、さまざまな方法で組み合わせようと悪戦苦闘する歴史が繰り広げらます。その議論はキリスト教内での論争として繰り広げられることになりました。

結果として、アリストテレスの「理性」とキリスト教の「信仰」をどう調和させるのかを問う「神学」が生まれることになったようです。

キリスト教内でのアリストテレスを巡る争い

こうした論争が、長期的に温暖な気候と技術発達による人口増加からの、寒冷化+ペストによる人口半減、などの社会の変化をベースに、キリスト教内での派閥争い(シトー派、ドミニコ会、フランシスコ会、聖霊派…)、権益機構・領主としてのキリスト教に対する批判、在俗権力の強大化に伴う権力闘争など、「異端」や「破門」というカードを武器にして繰り広げられる政治闘争と絡まりながら進んでゆくわけです。

社会は、徐々にアリストテレスを受け入れてゆくことになるものの、次々と(キリスト教にとっては)過激なアイデアが現れるため、保守派はたびたびアリストテレスの禁止を試みます。しかしなかなかうまく行かず、「異端審問」を生み出すことにもなりました。異端ともなれば、火あぶりや虐殺されたりするわけです。

そんな紆余曲折を経つつも、最終的にはトマス=アクイナスによって、アリストテレスで神を理解する、という考えが主流に入ることになりました。

しかし、それで完成したのかというとそうでもありませんでした。その後、王の権力の強大化によりローマ教皇の破門の力も衰え、教皇が並立する南北朝のような事態さえ発生するような時代となります。

批判の対象となるアリストテレス

そのなかで、それまでは異端視されていた「理性と、神の啓示を完全に分離する」というオッカムによる説が展開されるようになります。「理性」と「信仰」を無理に合わせなくても良くなったわけです。結果として、 理性は人のすることになり、後の科学への道が開けることになりました。

さらに、プロテスタントによるカトリックへの批判が始まります。宗教改革を推進するルターや、キリスト教によらない国民国家を作ろうとするホッブスらによって、アリストテレスは既存のカトリックと結びつくものとして、批判の対象となってゆきました。

宗教が担う倫理を理性から切り離した結果、彼らの説はは性悪説的なものになり、理性は倫理とは独立した、科学としての活動となって行きます。アリストテレスのことが大好きだったヨーロッパの中世は終わりました。

後の哲学では、カントやウィトゲンシュタインにより、「理性(論理)」の範囲を制限し、その外側に倫理の啓示を求める、という構図が出てきますが、それもアリストテレス(理性)とキリスト教(啓示による倫理)というオッカムの構図を引きずっている、ということなのでしょうか。

しかし、知れば知るほど思い知るのは、アリストテレスや古代ギリシアやヘレニズムのオーパーツっぷりです。

ギリシアもローマもその後も、それを発展させることができませんでしたが、それでも人々をひきつけ続け、千数百年の後に影響を与えた、アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス…。

逆に言うと、当時はたいして役にも立たなかったものを何でこんなに必死にやっていたのでしょうか…。