本『ソークラテースの思い出』クセノフォン 佐々木理訳 岩波文庫

ソクラテスの弟子だったクセノフォンが書いた、プラトンについての文章です。

ざっと読んだ感想としては、やたらと理屈っぽい論語、という感じですが、プラトンの『プロタゴラス』よりは、ソクラテスが現実の人間っぽく感じられました。

4巻構成で、1巻がソクラテスの有罪判決に対する反論。2,3巻は弟子などとソクラテスとの議論で、道徳的な指導を理屈っぽくしています。4巻で若干哲学的な議論がされています。

 

議論の運びには、なんと言うか若さを感じました。知っているのなら実行できるはずという考え方や、知識は矛盾していないという考え方には、そうだったら誰も苦労しないよ、と言いたくなったりもします。

その他にも、気になった考えなど少しだけ抜粋しておきます。

  • 友人の選び方や、幾何学に対する態度は、実用的というか功利的な色合いが濃いように思えます。「論証」という形式をとるとこうならざるを得ないということでしょうか。
  •  人間中心的な目的論的世界観

「彼ら(人間以外の動物)もまた人間の便益のためにこの世に生まれ、そして養われているということが」(p.199)

  •  「不文の法」(p.209)

あらゆる国土で等しく信奉されている、「不文の法」という考え方。

  •  「自制は人間最大の善である」(p.215)

短絡的な欲望に流されるのではなく、自制によって最善のことを行うことが自由であるという考え。カントやヘーゲルなどを読んだ時も、こういう考え方が出てきたと思いますが、どうやら伝統のようです。

最後ですが、このクセノフォンの人生がなかなか大変なもので、ペルシアの傭兵として参加した戦争で大将が戦死。そこから撤退し、孤立無援の中祖国まで帰るという、『アナバシス』という著作もあるようです。

(追伸 16.4.5)

「知っているのなら実行できるはずという考え方や、知識は矛盾していないという考え方」

矛盾の方はともかく、これは「実行できていないのなら、知っているとは言えない」という意図で、それ故に「自分が知ってない、ということを知っている」と理解すべきだったのかもしれません…。