プラトンの学園で学んだアリストテレスは、ソフィスト達の問答競技の手法なども参考にしつつ、論証や議論の方法をまとめましたが、その中に最古の論理学とも言える「名辞論理学」がありました。
続きを読む [再アップ]10.h 論理学 8 アリストテレス「古代ギリシア」タグアーカイブ
[再アップ]10.g 論理学 7 真実を知るための儀式/参考文献 哲学者編
おかしな前提から議論を始めるとパラドックスが起こってしまうのなら、問題を起こす前提を取り除いてゆけば、真実にたどり着けるはず…。
続きを読む [再アップ]10.g 論理学 7 真実を知るための儀式/参考文献 哲学者編[再アップ]10.e 論理学 5 プラトンと問い
人の持つべき良い性質とは何か、その考えは正しいのかどうか、などの議論を投げかけたソクラテスは民衆の裁判により死刑になります。このことにプラトンを始めとした多くの人がショックを受けたようです。
そして、多くの人がソクラテスのしようとしていたことは何だったのかを考えた結果が、「哲学」となっていったようです。
[再アップ]10.d 論理学4 ソクラテス
プラトンによるとソクラテスは、混乱する政治の中で人々に、人の持つべき良い性質とは何か、その考えは正しいのかどうか、などの議論を投げかけたようです。
『中世の覚醒』リチャード・E・ルーベンスタイン ちくま学芸文庫
中世の哲学、いわゆる「神学」や「スコラ哲学」には、何だかとっつきにくいものを感じていました。そのイメージを払拭できないかとこの本を読んでみたのですが、思った以上に面白い本でした。
中世のヨーロッパははアリストテレスの説が大好きだったようです。それなのに、キリスト教の教えと衝突するその説はそのままではおおっぴらに研究できません。
そのため、あの手この手で、言い訳の説を生み出す側と、それを異端として排除する側の、わけのわからない論争が延々と繰り広げられました。それが、中世哲学だったようなのです。
12世紀ルネサンス
ギリシアを飲み込んで、古代の地中海世界を席巻したローマが東西に分裂したあと、 古代のギリシアの思想は、イタリアを中心とした西ローマからは消え、ギリシアを含む東ローマからは異端として追い出されました。
しかし、それらの知識はアラビアへと渡り、研究をされることになります。イスラム世界では、聖職者でなければ特に制限なく研究をする自由があったようです。そのかわり聖職者の知識には影響せず、時代が悪くなるにつれて、失われていったようです。
そうした古代ギリシアの著作が 12世紀前後に、西欧に流れ込みました。イベリア半島やシチリアで、アラビアの注釈がつけられたそれらが翻訳されたその時代は、「12世紀ルネサンス」や「大翻訳時代」と呼ばれます。その中にアリストテレスの著作が含まれていました。
続きを読む 『中世の覚醒』リチャード・E・ルーベンスタイン ちくま学芸文庫英語の冠詞とオブジェクト指向プログラミングと、アリストテレス
私は英語がたいへん苦手です。
特に英語の冠詞については、何をしたいのかよくわかりません。数えられる、数えられない、とか何を言っているのでしょう。
『日本人の英語』という本では、冠詞が主体で、それに Pen や Cat などの名詞をつけるのだ、といいます。
この言葉をヒントにあれこれ考えていたところ、英語の冠詞と、オブジェクト指向と、アリストテレスが、実は同じアイデアの元にあるものなのではないか…と思い当たりました。
英語の名詞と冠詞(a, the) の関係は、クラスとインスタンスの関係によく似ているなと。という訳で、オブジェクト指向プログラマのための(?)、a と the についての妄想です。
マンガ 10.k 論理学 11 論理の形式化
論理学は形式化されることによって、単なる言葉の分析から、推論の構造の全体を調べられるものになったようです。
続きを読む マンガ 10.k 論理学 11 論理の形式化マンガ 10.j 論理学 10 ストア派の論理学
アリストテレスの名辞論理学に対して、その後の時代のストア派によって作られた論理学は、今の命題論理学に近いものだったようです。
マンガ 10.i 論理学 9 名辞論理学/ 参考文献ー論理学編
マンガ 10.h 論理学 8 アリストテレス
プラトンの学園で学んだアリストテレスは、ソフィスト達の問答競技の手法なども参考にしつつ、論証や議論の方法をまとめましたが、その中に最古の論理学とも言える「名辞論理学」がありました。