本:『ソクラテス以前以後』F.M.コーンフォード 山田道夫訳 岩波文庫

イギリスの古典学者マクドナルド・コーンフォードによる少し古い本で、1932年のものです。

ヨーロッパ中心のギリシア持ち上げを感じないでもないですが、古代ギリシアの考え方の流れが短くまとまっていて、扱いやすいでした。

この本では、古代ギリシアの思想をソクラテスを中心に、「イオニア」「ソクラテス」「プラトン・アリストテレス」に分けています。

そして、それまでのギリシアの思想の伝統から方向性を大きく変えたところに、ソクラテスの重要さがある、ということのようです。その方向性とは、自然の研究から、人間及び社会の研究へと哲学を展開させた、ということです。

 

 イオニア

イオニアの時代の哲学は、唯物論的で、還元的、機械的なものであったと言います。つまり、部品にバラしてその動きを機械的に説明することを目標としていました。その代表例が、デモクリトスの原子論です。

 これは科学的に思えるかもしれませんが、「いかなる実験の規制のもとにもなければ、証明可能なものでもなかった」。つまり、「俺の考えた世界の秩序」でした。

 ソクラテス

ソクラテスは、このような唯物論を「独断的であり、そして役に立たない」として拒否しました。

また、ペルシア戦争後のアテネでは個人主義的な意見が出始めていて、人が作った恣意的な法律よりも、自然の法則である、例えば個人の欲望や快楽などを追求すべきだということを、何人かのソフィストが唱えていた様です。

ですが、ソクラテスにとっては、そのような短絡的な欲望を、知識によってコントロールすることこそが重要で、その判断は自らが行うべきであると考えました。そして、それを可能にするために、真の自己である魂 を発見し、重視しました。

さらに、それまでに受け入れていた行動規範の全てを疑い、あらゆる道徳的問題を自分自身で判断することを目指さすよう若者に教え、「権威への服従と習慣の遵守という道徳の基礎を…切り崩しつつあった」と言います。

…これは本当でしょうか?クセノフォンのソクラテスを読むと、法に従うことを善としていますし、「悪法といえど法なり」と言って、強引な判決を受け入れて死んでいます。

この後にも書かれているのですが、プラトンが若き日のアテナイやペロポネソス戦争について回顧する本の中で、「法律習慣の全体が驚くべき速度で 粉々になってゆくのを彼は目撃していた」と言っているそうです。

むしろ、権威や習慣を失っていたのは、絶頂と凋落を経験したその時代のアテネで、ソクラテスは自らきちんと考えて、社会をしっかり支える人間を創りだそうとしていたのではないか、と言う気がします。[1]16.4.23 習慣と法は違うものなので、習慣を疑うことと法に従うことは矛盾しない、と読むべき?

プラトン

プラトンの考え方は、ソクラテスとは違い体系的世界解釈であったそうです。

プラトンも、崩れてゆくアテネにあって、「どのようにしたらアテナイの道徳生活が新たな基礎の上に回復されうるのか」を考えました。

そして、言葉の意味を定義しようと試みた結果として、万人が希求すべき目的である「イデア」を考えだしました。さらに、「数」という抽象的なものを万物の根源としたピタゴラスの影響を受けて、イデアに実体としての地位を与えました。

これは、自然についての知識を、始まりではなく、終局(目的)に求める考え方となり、理想の完成を目指す、計画的な意図の産物として世界を理解することになります。

 アリストテレス

アリストテレスはプラトンとは違い、それまでにギリシア世界になかった、観察と記述による研究へと向かいました。

物事と独立したイデアの世界を否定ましたが、原因を目的によって探求する点は引き継ぎました。つまり目的論です。

これは生命活動の研究と、人間の道徳的本性を研究する分野において、特に効果的な考え方でした。

そして、可能性の概念、「可能的に存在する」という考え方を新たに作り出し、それを可能にする永続的なものとして、質料を持たない「形相」を考えます。(『心とはなにか』)

アリストテレスは、円運動を繰り返す天体を、 そのような形相が完全に実現されているものだと考えていました。しかし、それは世界の秩序や良き目的のために働いたりはしないという点で、ソクラテス的な動機から外れていて、それはむしろストア派やエピクロスへと引き継がれた、としています。

この本の著者は、社会についての考えから外れたアリストテレスには厳しいようですが、アリストテレスには倫理学などもあるようで、もう少し知りたいところです。

References

References
1 16.4.23 習慣と法は違うものなので、習慣を疑うことと法に従うことは矛盾しない、と読むべき?