いわゆる哲学的ゾンビ、の話です。
いくら外見の特徴を観察しても、本当に内面があるのかは分からない、直接の証拠にはならない、ということです。
そしてそれは機械に限らず、実際の人間であっても同じなので、他人にクオリアがあるかどうか、実のところわからない、という話が「哲学的ゾンビ」と呼ばれるものです。
ただ、この論法、聞いた時にピンとこない人がいるそうなので、少ししつこめに書いてみました…。
あと、「コウモリであるとはどういうことか?」は、ネーゲルという人が考えた話で、『マインズ・アイ[下巻]』などに載っています。