中国語の部屋は、サールという哲学者が持ち出した議論です。
この話はよく見るのですが、正直なんだかよくわからなくなる話です。本編にも書いたとおり、一見関係がありそうだが、論理的には関係のないことの様な気がしています。中の人が理解してないのがいけないのなら、理解できるようにすればいいですが、それに意味があるとも思えません。
中国語の部屋は、サールという哲学者が持ち出した議論です。
この話はよく見るのですが、正直なんだかよくわからなくなる話です。本編にも書いたとおり、一見関係がありそうだが、論理的には関係のないことの様な気がしています。中の人が理解してないのがいけないのなら、理解できるようにすればいいですが、それに意味があるとも思えません。
チューリングについての映画だというので、見ておかないと。ということで見てきました。
話の中心は、チューリングが、第二次世界大戦時のドイツの暗号通信システム、エニグマの解読に従事していたという史実をもとにして脚色したもので、それにチューリングテストのアイデアをなんとなく絡めようとした感じ。
チューリングマシンとコンピュータの関係やチューリングテストと人工知能については、こちらの記事を…。
以下はネタバレありです。 続きを読む 映画『イミテーションゲーム』
ロシアで作られたプログラム「ユージン」が、チューリングテストの大会で33%の人から人間だと判定されて合格となったそうです。
33%というのは、チューリングが「五分間で、正しい判断をする人(機械だと見破る人)が70%を超えない」を条件としていたからなのでしょう。人間でも機械だと判定されることはあるようですし。
Eugene—the supercomputer, not 13-year-old—first to beat the Turing Test
こちらの記事によると、「13歳で、何でも知っているようなことを言うが、実は何でも知っているわけではない」というキャラ作りに力を入れたとのこと。
確かに相手に人格が感じられたほうが、人間っぽいのかもしれません。しかも、いかにも居そうな人格が。
逆に、「知能があるロボット」というキャラクターはこのテストを通りにくいということになりそうです。
記事の最後では、知識がないことへの不満も出ていることが書かれていますが、知識があればいいかというと、そうも思えません。何でも知っているよりも、むしろ知らないことを適当にごまかすほうが、人間らしいし、知能らしいのではないかとも思います。
チューリングテストは「知能」というものの一面を、きちんと決められた手続きで判定できるためのテストですが、これが知能のすべてというわけではなくて、
だから、WATSONのようにクイズ番組で優勝したり、ROBOCUPのようにサッカーをしてみたり、入学試験に合格をしようとしてみたり、いろいろな「知能」にあわせた目標が作られているのでしょう。
こういうテストに色々と受かるものが知能なのか、それともそれらの結果として、これが肝、というのが見つかってくるのか…さてどうなるのでしょうか・・・
漫画へのリンク:
第1回、「チューリングテスト」です。
「会話ができるのであれば、それには知能があると言ってもいいのではないか?」ということから、「電子メールやチャットで話した時に、相手が人間なのかコンピュータなのかがばれなければ、知能がある」とする、コンピュータに知能があるかないかを判断するテストです。
もとは、メールではなく「テレタイプライタ」というものでやり取りするのですが、今ならメールやチャットでしょうか。
しかし、一番気になっているのは、今どきの若いひとは「メール」なんて(言葉&機能)使わないのではないか、というところです…。
チューリングテストには、後ですこし戻ってくるつもりです。
次回からは「ゲーデルの不完全性定理」の予定。
何回か続けます。
参考文献:
『マインズ・アイ[上]』TBS ブリタニカ
マインズは、MIND’S なのでタイトルは「心の目(心眼?)」ですね。地雷のことではありません。
この本はいろんな文章を集めたもので、その中の一つとしてチューリングによる、チューリングリストのについての文章が乗っています。批判とそれに対する反論もしていて、今後はそれらの一部にも触れてゆきたいです。