本:『プラグマティズム入門』伊藤邦武 ちくま新書:2・論理実証主義

「プラグマティズム入門」に関して、一時期大流行したプラグマティズムと対立する考え方、「論理実証主義」を中心に書いておきます。

 論理実証主義

プラグマティズムの考え方は、「論理実証主義」という考え方の隆盛によって一時衰退したそうです。

この論理実証主義、ずっと今ひとつわからなかったのですが、どうやらこういうことの様です。

  1. 確実な知識というのは、実験によって得られた個々別々の知識であり、それだけである。
  2. 知識を組み合わせて得られる知識、というものはない。

「論理」を標榜しておきながら、2を主張するのが理解しにくかったのですが、論理で推論されるものは「トートロジー」(同じことの言い換え)だから、それは「新しい知識」ではない、ということの様です。(この考えはウィトゲンシュタインから持ってきたもののようです)

つまり、個々の実験で得られることが真理(のカケラ)で、それを沢山集めてならべれば、世界についてどんどん知ることができるが、その外側は真理としては知ることができない、と考えているようです。

では外側とは何かというと、これもウィトゲンシュタインの『論考』のアイデアを元にしているようです。それは、言葉で語れるのは「事態(出来事?)」である。良さや倫理は出来事ではないのだから、それらについては「沈黙しなくてはならない」、というものです。

であれば、実験の外側についての哲学の議論は、真理を得る方法にはなりません。そこで「形而上学の除去」を標榜することになります。

ですがこれ、実験を、直接手に入る「不変の真理(のカケラ)」とした、基礎づけ主義の一種なわけです。

クワイン

というわけで、プラグマティズムの復権と批判が始まります。クワインという人は、論理実証主義の前提になっている2つの考えを批判します。(「経験主義(論理実証主義のこと)の2つのドグマ」)

  1. 感覚や実験が個別に知識と対応付けられるということ。(還元主義)
  2. 知識は、実験で得られるものと、そこから推論で得られるものに分けられること。(総合命題と分析命題が別であること)

ここでも、2がぴんとこなかったのですが、カント以来の伝統で、推論で得られる知識を「分析的命題」、経験や実験から知られる知識を「総合的命題」(たくさん集めることで新たな知識が得られるから?)、と呼んで分けて考えます。(よく聞くのですが、これもピンとこない言葉です…。)

ですが一つの実験は、理論や仮説、それらを確かめるために設計・実施された沢山の実験を元にして組み立てられています。ですから、実験の知識は個別に得られるものではありません。
理論がないのなら、それを確かめる実験もないわけです。

さらに、クワインは同じ実験結果を元にしていても、各々が互いに翻訳できない理論を構築することを否定できないと考えました。(「根底的翻訳の不確定性」)

こうした、実験も科学全体の中で意味が決まる、というプラグマディズム的な考え方による批判により、論理実証主義はその勢いを失っていったようです。

 多元的世界観

しかし、であれば真理というのは、皆に共通した一つのものではなくなります。うまく行く方法を、個々人が別々に持っていることは、そんなにおかしなことではありません。これを「多元的な世界観」というようです。

そしてデイヴィドソンという人は、もはやどこまでが理論で、どこからが事実なのかを決められないのなら、「認識の主体と客体の分離」を前提にした「言葉(理論)と事実の対応」や「信念と事実の一致」などを扱う哲学の問題は無効なのだと考えたようです。

つまり、[実在論vs非実在論]( 人とは関係なく、真の世界があるvsない)や、[客観主義vs相対主義](真理は客観的で皆に共通 vs 個人のあり方に依存)、などの議論には意味がない、というわけです。

ローティ

さらに、ローティという哲学者は、科学も有用な対話の道具で、その言葉の意味も使用者同士の間の合意でしか無いのなら、科学と他の人文科学との間に違いはないと主張しているそうです。「科学を文学の一分野とみなす」これを「自文化中心主義」と言うそうです。

基礎づけ主義が、正しさを保証してくれる何かを探す一方で、その反対に全てを相対的なものにしてしまう意見に行き着くわけですが、どれもが対話のための道具であるからと言って、何から何まで同じだとするのは乱暴な気がします。

全ての対話が破綻しても、拳での語り合いは効果を発揮してしまいます。その経験を科学は客観性として分類しているのではないでしょうか。人文科学には、その限界を見極めたうえで、その外での合意について考えて欲しい気がします。

終わりに

本はこの先、パトナムらがこれまでのプラグマティズムとして、さらにその先に「これからのプラグマティズム」が続いてゆきます。本をあたってみてください。

 

論理実証主義の前提となる、フレーゲ以来の論理学の発展については『論理哲学大全I(論理と言語)』という本を、

 

プラグマティズムや論理実証主義を英米の哲学史に位置づけるのに、『英米哲学史講義』なども読んでみていますが…

 

気力があればいずれ…。