マンガ-5.a 「計算機と意味」

もしコンピュータが、汽車のおもちゃと同じようなものだとするのなら、それが意味や意識を持つなんてことがあるのか?というお話をしばらくします。

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とにかくイメージ的にわかりやすいものを片っ端から並べてみます。話と話をつなぐ部分や結論は強引だったり、今一つな批判だったりしますので、ご興味をがある場合には参考文献をご参照ください。間違い、勘違いもあると思います。

最初の話題は、そもそも、そのおもちゃは計算をしているのか、という疑問です。値を入れて、出てきた結果を使うのは人間なのですから、計算機を使って計算をしているのは、人間なのではないでしょうか。
たとえ値の入出力が自動化されたとしても、そうしたかったのは人間です。
だとしたら、計算機が自分自身で意味を持ったり作り出したりできるのでしょうか?

この話の元は、参考文献の『ウィトゲンシュタインvsチューリング』から持ってきました。チューリングは既にここでもおなじみですが、ウィトゲンシュタインは20世紀の最重要哲学書とする人も多い「論理哲学論考』を著した人です。チューリングの授業をウィトゲンシュタインが聴講して議論したことがあるのだとか。

 

【参考文献】

『ウィトゲンシュタインvsチューリング』水本正晴

ウィトゲンシュタインは、「論理哲学論考』という哲学書を著し、その後の哲学に大きな影響を与えた人です。チューリングの授業をウィトゲンシュタインが聴講した時の議論をもとに、「計算機が計算している」なんて言えないんじゃないの?という問題を考えています。