映画『トランセンデンス』

映画『トランセンデンス』の感想などを。

巷でいまいちな評判の、トランセンデンスを見てきました。
人工知能と、シンギュラリティが、映画の中心ネタと聞いたので。

「シンギュラリティー」は技術的特異点のことで、人間の知能が「計算」だとするのなら、コンピュータの計算能力がそろそろ人間を超える。その時どうなるのって話ですね。(シンギュラリティをテーマにした本や小説については全く読めていませんが…。)

映画は確かにとっちらかってて、散漫な感じでした。さらに、どのへんにリアリティのレベルを置こうとしているのかがわからない。映像的に印象に残るようなポイントもあまりありませんでしたし。

だから誰かの視点ではなく、俯瞰的に突っ込みいれながら見るのがいいとおもいます。
個人的にはとっちらかり具合を、整理しながら見るのも面白かったです。

以下、映画の内容の核心や結果に触れます(ネタバレ)。

 

 

映画について

あらすじは、天才科学者のウィルが反科学技術テロ組織により殺害され、妻と友人によって死ぬ直前にコンピュータにその意識がアップロードされます。するとその意識はコンピュータの能力をフルに活かして、いろいろなものを自己修復するナノマシンを創りだします。それは奥さんの夢を叶えるためなのですが、そのあまりの速さに奥さんの理解も超え、過剰反応したFBIと反技術テロ組織が、ウィルの意識を破壊する…という流れです。

基本は「コンピュータに転送されたウィルの悲劇」なのだと思いますが、それを誰の視点で書こうとしているのかが、さっぱりわからない。

立場には以下のようなものがあったと思うのですが、誰がどの立場のどんな視点でどう対立しているのかも、こんがらがっている様に感じる。

  • 科学の力によって人間をより幸せにしよう!だけど、どこまでなら許せるのかによって、濃淡があります。
  • 自分の力を超えるものの排除しよう
  • 技術を捨てて自然に帰ろう。 (これは、ほのめかされますが明確にその立場の人は居なかったかもしれません)

「人間は矛盾に満ちているけどコンピュータは違う」とかいうセリフがあるのでそういう意図なのかもしれませんが、ついていきにくかった。(コンピュータの無矛盾性も証明されていませんけどね!?)

 シンギュラリティについて

コンピュータに転送されたウィルは、今までの限界を超える能力を得たことにより、これを使えば病気も怪我もエコも解決できる、「科学で人間を幸せにする」という、奥さんの夢を叶えられる!という思いを実現してゆき、挫折しますが、ウィルはコンピュータに転送されたあとも人間です。

だから、ここで実現されたのはすべて「人間の夢」でした。ナノマシンで人やソーラーパネルが勝手に治るのは人間の夢でしょう。(ソーラパネルが治るのはちょっと笑います。もっと有機的なものになりそうだけど、そういう映像は今は流行らないのか?)

コンピュータにしたら、ソーラパネルが壊れたからって自動で治す必要なんて無くて、給料払って人に直させればいい。映画でも、最初はそういう描かれ方をしています。怪我や病のある人を集めてその人たちを治療し、その人たちがパネルを直す。そういうシステムとして書かれています。(その後、ナノマシンで何でもできるようになってしまうのが残念な感じです。そのまま行ってくれれば良かったのに、と思いますが、スタートレックのボーグみたいになっちゃうのかな…)

つまりそれは、「コンピュータ自身が夢見る世界」との対立ではなかった様に思います。

映画『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALは異様に不気味に見えますが、それはHALが人間とは違う何かよくわからない価値観で動いている様に見えるからなのだと思います。その不気味さに比べたら、それほど不気味さはない気がします。そういう意味では、映画に出てくるセリフ、「人間は未知のものを恐れる」というセリフもあんまりしっくりこない。

結局この映画のネタはシンギュラリティによる人間(個人)の強化、超人間がネタだったということだったのだと思います。

そう考えると、シンギュラリティの恐怖というのはいくつかあるのかもしれません。

  1. 「人間の夢」をコンピュータを使ってこのままガンガン加速させて、それで大丈夫なのか?という怖さ。これはコンピュータに限らず技術一般の話です。問題は速さでしょうか。ひと呼吸おいて考える間もない進歩の怖さです。
  2. 「特定の個人(や集団)の夢」だけが極度に増幅されたらどうなるのかという怖さ。
  3. 「人工知能」が可能になって、なんだかわからない価値観で私達に迫ってきた時に、私達はどうしたらいいのか?という怖さ。
  4. コンピュータの意思って、人間の社会自体の働きじゃないのか?その自律的な動きに私達はどう対応すればいいのか?という怖さ。

ちょっと飛んだ項目もありますが、この映画は、1、2が中心で少し3、4が入っている感じ。ということで、3,4を中心に扱ったものってどんなのがあるのだろう…。(『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』などはそういう方向性だと思いますが)

こうしてみると、人工知能というのは、3,4 のような状況に対応するために、人間の夢や意思をコンピュータに理解させるため、もしくは翻訳するための努力なのかもしれません。

なんてことをあれこれと考えるのにはいい映画だったかな、と思います。

ツッコミどころもありますが、そういう本や映画というのは、ツッコミをすることで、「自分がどう考えているのか」を顕にする鏡にもなります。そういう、話も楽しいですね。

 人間のコンピュータへの転送

ところで、人間の脳をコンピュータに転送できるのか?という点についてですが、最近こんなニュースを見ました。コンピュータで人間の脳を実装する研究にEUが12億ユーロを準備したところ、研究者たちから時期尚早として、ボイコットされた…。と。
まだしばらく先だと思っていいのではないでしょうか?

Scientists threaten to boycott €1.2bn Human Brain Project

もしできたとしても、転送は電極を脳に直接刺すような方法ではなくて、MRIとかPETとかそういう感じの、非侵襲スキャン技術でされるような気がしますが、頭に穴を開ける演出をしたかったのかな…。