「物語」というタイトルなので、軽めなエピソード集かと思って読んでみたら、飛行機を中心にした科学技術史の本でした。
ライト兄弟が飛ぶまで
印象に残った部分のみ拾って行きますが、まずはライト兄弟が飛ぶまでの研究です。ライト兄弟はそれまでとは何が違ったのでしょうか。
以前から空を飛ぶための研究はされていて、ドイツのリリエンタールという人が、揚力と抵抗の関係などを計測し、グライダーの研究をしていたそうです。
ですが、既に知られていた空気抵抗の理論値が間違っていたのを、実測せずにそのまま使っていたそうです。一度正しい、と思い込ん でしまったものから抜けだすのは、なかなか難しいことのようです。
そのリリエンタールは、グライダーの事故で死んでしまいます。そしてそのニュースを聞いたライト兄弟が飛行機の開発をはじめました。
ライト兄弟はとにかく「飛ぶ」という目標に対して、課題を明確にして、一つ一つ解決するやり方で開発をすすめます。
まず、それまでの研究を調査して、足りていないと思われた、操縦技術を、羽根をねじる機構を開発することで確立します。
次に、上で述べた空気抵抗の理論値の間違いにより、予測より揚力が出ていなかったのですが、実験によって設計に必要な値を独自に算出します。
更にエンジンは、パワーによって飛ぼうとしていた人たちがいたのに対して、パワーを追い求めず、飛ぶのに必要なパワー/重量比を割り出してその要件に会うものを独自に作りました。また、そのパワーを活かしきるために、効率の良い大きなプロペラを採用します。
とにかく何もわかっていない。飛べないと言う科学者さえいる中、なんとか飛ぶものを創りあげてゆくその現実的なやり方には、感銘を受けます。
先駆者
実は同時期の日本でも飛行機の研究をしていた二宮忠八という人がいました。軍隊などに推進を進言したものの、理解を得られずにいるうちに、ライト兄弟が飛行を成し遂げ、研究をやめてしまったそうです。
しかし飛行機の研究において不遇な境遇にあった先駆者は日本ばかりではなかったようです。
ドイツではライト兄弟が飛ぶまでは、政府が「飛行機は不可能」という結論を出していたため、空気力学に貢献したリリエンタールは評価されませんでした。
飛行機が飛んだ後も、イギリスではランチェスターという人が作った翼の理論が認められずドイツで利用されました。また、イギリスで世界初のジェットエンジンを作ったホイットルは、空軍省の理解が得られず、ドイツのハインケル社の支援を受けたオハインにジェットエンジンによる初飛行で追いぬかれます。ですが実用化は 、ドイツでは政治的な理由もありメッサーシュミット社が、イギリスでも大企業のロールスロイス社などがその成果をかっさらってゆきます。
ラ イト兄弟も、初飛行を成し遂げたものの、飛ぶために必要なことがわかったことによって、それまで別の路線で研究してきた人たちに、あっという間に追いぬかれていってしま います。軽量だが非力なエンジンの効率を使い倒すために採用していた大きなプロペラは、強力なエンジンによって時代遅れになりました。特許技術だった羽根を捻る操縦技術は、補助翼(エルロン)を動かすことによって回避されました。
こうした人たちは、後に各国の政治的な理由で(実はうちもすごかった!と言うため)賞賛され、名前を知られていたりするようです。
成功とは何なのだろうと、複雑な気持ちになる話です。そう思えば、二宮忠八はなぜやめてしまったのでしょうか。一番手の意味ってなんなんでしょう。
とは言え日本政府は、その後実用化された飛行機の導入においては、既にあった日本での研究の下地を活かすことなく、外国から完成した飛行機を導入したそうで す。しかし、こうした態度に疑問を持ち、基礎研究の欠如を嘆いた田中館という人が大学への航空工学科の設立に尽力し、その結果、映画『風立ちぬ』の主人公のモデ ルでもある堀越二郎(ゼロ戦やYS-11の開発に携わった人です)などが育つことになったそうです。
さいごに
余り書きませんでしたが、この本を読むと「飛行機」というのが、水力、風力、熱力学など、沢山の科学技術の成果を活用し、また新たな科学技術の知識を生み出しながら作られ、発展したものなのだということがよくわかります。
飛行機は初めて飛んだ瞬間も明確ですし、後半は飛行機うんちくも多く、科学技術史を楽しく学ぶことが出来ました。