おかしな前提から議論を始めるとパラドックスが起こってしまうのなら、パラドックスを起こす前提を取り除いてゆけば、真実にたどり着けるはず…。
プラトンはこれを対話法という方法にし、最後に残る真実を、イデアという正しいことそのものだと考えたようです。
※ 作中の錯視画像は、北岡明佳・村上郁也・蘆田宏らの画像を参考に作成しました。
おかしな前提から議論を始めるとパラドックスが起こってしまうのなら、パラドックスを起こす前提を取り除いてゆけば、真実にたどり着けるはず…。
プラトンはこれを対話法という方法にし、最後に残る真実を、イデアという正しいことそのものだと考えたようです。
※ 作中の錯視画像は、北岡明佳・村上郁也・蘆田宏らの画像を参考に作成しました。
人の持つべき良い性質とは何か、その考えは正しいのかどうか、などの議論を投げかけたソクラテスは民衆の裁判により死刑になります。このことにプラトンを始めとした多くの人がショックを受けたようです。
そして、多くの人がソクラテスのしようとしていたことは何だったのかを考えた結果、「哲学」となっていったようです。
プラトンによるとソクラテスは、混乱する政治の中で人々に、人の持つべき良い性質とは何か、その考えは正しいのかどうか、などの議論を投げかけたようです。
引き続き、古代ギリシアです…。
スパルタとの間でペロポネソス戦争をすることになったアテナイは、民衆政治を採用していました。その結果、議論や説得をする能力がますます重要となって行きましたが、政治は混乱していたようです。
引き続き、論理学について追っかけてゆきます。
現代につながる論理学の元は、古代ギリシアにつながるようです。そこで、古代ギリシアというのはどういうところだったのか、をしばらく見て行きたいと思います。
ここまで色々と数学や将棋空間の探索などを見てきましたが、これらと関係の深い「論理」について見てゆきたいと思います。
題名が『戦史』とも訳されているこの本は、ソクラテスの時代(紀元前430年頃)にギリシア世界全体を巻き込んで争われた戦争、ペロポネソス戦争について、その時代のアテナイの人、トゥキディデスによって、事実を積み上げるような態度で書かれた歴史書です。
古代ギリシアの本何冊かに手を出した以上、いずれは読まねば、と思っていました。
昨年は、私にしては沢山読んだのですが、消化しきれなかった結果、こういうことになりました…。出来る範囲でここに…。
このエントリは古代ギリシア中心に。
『形而上学』『心とはなにか』を読んで、アリストテレスへの興味が深まって読んだのがこの二冊です。とくに『ニコマコス倫理学』は、心を機能主義的に捉えた時に、倫理というものをどう考えたら良いのかを、さらに人工知能の倫理はどういうもので有りうるのか、を考える材料になるのではないかと感じています。
対して弁論術は、弁論における様々な要素を検討しています。一方で形而上学のように不動のもの、などという話をしていながら、もう一方では弁論などの確定しない法則を観察・分析して記述する。柔軟で自由な思考に圧倒されます。
アリストテレスを読むうちに、その源流であるプラトンについての興味もでてきたので、いくつか読んでみました。特に『国家』を読むと、アリストテレスの扱っている論題の多くが、プラトンによって示されたものであることがわかります。プラトンの結論には色々と疑問もありますが、問の立て方や解決方法のアイデアは流石です。
プラトンは厚さの割に読みやすいのですが、内容の消化はなかなか大変なので、『プラトンを学ぶ人のために』も補助線として読んでみました。複数著者の本のため、品質は色々でしたが、助けになる本でした。
アリストテレス、プラトンから、古代のギリシアがどういう世界だったのかに興味を持って読んでみたものです。特に、ギリシア世界の全体を巻き込んで、30年もの間スパルタとアテネが繰り広げたペロポネソス戦争を、同時代人のトゥキディデスが書いた『歴史 トゥキディデス』の迫力には圧倒されます。
数学の思想史というか、哲学史の本です。序盤は数学は音楽に似ている、などの話で今ひとつピンと来なかったのですが、中盤からは「正しさ」についての考え方の変化が語られてゆきます。
学校の数学でも「証明」によって正しさを示していますが、これを始めたのが紀元前5世紀の古代のギリシアで、それは他の文明には見られない特異なことであった様です。