数学の思想史というか、哲学史の本です。序盤は数学は音楽に似ている、などの話で今ひとつピンと来なかったのですが、中盤からは「正しさ」についての考え方の変化が語られてゆきます。
学校の数学でも「証明」によって正しさを示していますが、これを始めたのが紀元前5世紀の古代のギリシアで、それは他の文明には見られない特異なことであった様です。
数学の思想史というか、哲学史の本です。序盤は数学は音楽に似ている、などの話で今ひとつピンと来なかったのですが、中盤からは「正しさ」についての考え方の変化が語られてゆきます。
学校の数学でも「証明」によって正しさを示していますが、これを始めたのが紀元前5世紀の古代のギリシアで、それは他の文明には見られない特異なことであった様です。
「ラムダ計算」のはなしの続きです。ようやく最後です。
ラムダ計算には、どういう順番で計算をすすめるかは書いてありません。プログラミング言語として応用する場合には、その性質を利用して、計算する順番を後から決めることができるわけです。手続き型の場合は、処理の内容と処理の順番を別に書けるようなかたちで、うまくサボれるようにしているようです。
「ラムダ計算」のはなしの続きです。ループを楽にするための仕組みと、関数で記号を作る方法です。
チューリングマシンと同じ能力を持つ、「ラムダ計算」のはなしの続きです。入れた文字列で文字列を置きかえるだけでも、分岐やループが実現できる、という話です。
少し戻って、チューリングマシンにできないことを見てみます。
チューリングマシンは「計算」をきっちり定義したものですが、カードの列で表せるものには限界があるそうで、すべての実数を表すことはできません。
不完全性定理やコンピュータの基礎につながる、カントールの集合論は、無限には、1,2,3 …と続く整数と同じくらいたくさんある「加算集合」と、実数の様にさらにそれよりもずっとたくさんある「非加算集合」があるということを示したそうです。無限にも、「たくさんさ」の間には違いがあるというのです…。
そして、コンピュータの基礎モデルであるチューリングマシンでは、せいぜい加算無限までしか扱えません。つまりすべての実数を扱うことはできないということです。
もしこの世界が実数でできているとすると、人間の知能もコンピュータに扱いきれない性質を使っている可能性があるのではないのか…という疑問が湧いてきます。
また、物理学の理論である量子力学は、物の今の状態や未来をきっちりと一つに決められない、ということを明らかにしました。
だとすると、もし人間の知能がこの性質を使っていたら、決められたことしかできないコンピュータには、できないことがあるのではないか、たとえば人間のような自由な意思を持つことはできないのではないか、という疑問も出てきます。
この本『自然とギリシア人、科学と人間性』は、科学と古代ギリシアの思想、連続性(実数)と原子論、量子論、自由意思、二元論などの間の関係などについて、量子力学の祖の一人シュレディンガーが語ったもので、上記のような疑問への入り口にもなる本だと思いますので、少し内容にふれてみたいと思います。
この本によると、科学は古代ギリシアの時代の考え方を引き継いでいて、世界は実数なのか、自由意思はどうなるか、という問題も、そこから引き継いだ考え方に原因や関係があると言えるようです。
「ゲーデルの不完全性定理により、人工知能ができないことは証明されているのか?」という問題を考えるために、ヒルベルト計画を追いかけます。今回は、集合とパラドックスを見てみました。
「数学とは一体何か?」という大きな問で終わっていますが、これは数学の哲学の領域のようですね。
Pixivに再アップしました。
前回挙げた参考文献、『ゲーデル 不完全性定理』を、主に参考にしています。
強力な秘奥義をマスターしたヒルベルト、この技をパラドックスの呪いから救い出すことはできるのか!?そして数学とは一体何なのか。次回「論理主義・直感主義」!
の予定。
集合をあみだしたカントール自身はパラドックスについてはあまり気にしていなかったそうです。