「本の感想」カテゴリーアーカイブ

本『ソークラテースの思い出』クセノフォン 佐々木理訳 岩波文庫

ソクラテスの弟子だったクセノフォンが書いた、プラトンについての文章です。

ざっと読んだ感想としては、やたらと理屈っぽい論語、という感じですが、プラトンの『プロタゴラス』よりは、ソクラテスが現実の人間っぽく感じられました。

4巻構成で、1巻がソクラテスの有罪判決に対する反論。2,3巻は弟子などとソクラテスとの議論で、道徳的な指導を理屈っぽくしています。4巻で若干哲学的な議論がされています。

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本:『プロタゴラス』プラトン・中澤務訳 光文社文庫

古代ギリシアの哲学者プラトンが書いた本で、ソクラテスを主人公に、ソフィストであるプロタゴラスとの議論を書いた本です。

この話の時代設定はプラトンが生まれる15年前で、実際の話というよりはプラトンによるフィクションだと思ったほうが良いようです。

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本:『飛行機物語』鈴木真二 ちくま学芸文庫

「物語」というタイトルなので、軽めなエピソード集かと思って読んでみたら、飛行機を中心にした科学技術史の本でした。

揚力の発生する訳、ライト兄弟が飛ぶまで、エンジンの発展、プロペラの原理、金属の機体ができるまで。水力タービンからジェットエンジンへ。初期のジェット旅客機の設計問題とその教訓。などなど飛行機技術にまつわる話が盛り沢山です。

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本:『科学哲学への招待』野家啓一 ちくま学芸文庫

タイトルは科学哲学となっていますが、「科学の歴史」「科学哲学」「科学社会学」の三つがセットになった本です。

科学史もいくつか読んだり、科学哲学には『一冊でわかる 科学哲学 』など、読みやすい本があるのですが、最初に全体が見れるこの本を読んでたら良かったのかも。

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本:アリストテレス『心とは何か』桑子敏雄訳 講談社学術文庫

古代ギリシアの哲学者、アリストテレスの書いたものの翻訳です。

この本で「心」と訳されているのは、「プシューケー(息)」という古代ギリシア語で、「霊魂」などとも訳されている言葉。訳者は、その使われ方が、日本語の「こころ」という言葉の使われ方が似ていることより、そう訳すのがよいと考えたそうで、それは結構あっているように思う。

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本:科学史3冊『思想史のなかの科学』『近代科学の源流』『文明の滴定』+『哲学原理』

クオリアや意識の問題は、科学という考え方それ自体に関係がありそうです。そこで、科学の歴史の本を何冊か読んでみました。

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本『中国人の論理学』加地伸行

論理学の話は古代ギリシアのアリストテレスの論理学から始まることが多いと思うのだが、古代中国の諸子百家も、やはり論理学に通ずるような議論をしていた記憶があった。これらには一体どんな関係があるのだろう。論理学は古代のギリシアにだけ生まれたものなのだろうか?という疑問からこの本を読んでみた。

論理学は議論や思考をするときに、「どれが正しいのかを決める法則を知ろう」という発想から出ていると思うが、そのとき二つのことが問題になる。どんなルールが正しいルールなのかと、どんな知識が正しい知識か、ということである。

アリストテレスの論理学や記号論理学では、正しい知識をもとに、言葉や記号を置き換えてゆけば、正しい結論を導き出すことができるルールを見つけ出した。これは形式論という。

だが、知識(言葉や記号の意味)が正しくなければ、どんな推論をしても意味がない。ごみを入れれば、ゴミが出るのだ。

そこで論理学では、ルールについての議論のほかに、記号や言葉の意味についての議論も必要となる。言葉が現実をきちんと表していなければ、意味のある議論ができない。春秋・戦国時代の中国(紀元前400年前後)ではこの方向性に対しての議論を活発にしたようだ。これは意味論という。

# 何だか文章が変なので、少しづつ直してゆきます…。唯名論と実念論、混乱しやすい…。

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本『ロボットという思想』 浅田稔 NHK出版

人間と同じような構造(体)を持ったロボットを作り、それに学習・発達をさせることで、「人間」についてもっとよく知ろうとする、「構成論的アプローチ」についての本です。

印象に残った一番のポイントは、「体の構造が脳を作る」という部分。

脳には、体と独立した機能があるのではなく、体との関係で必要となった機能があるはずです。であれば、脳の構造は、実際に出来上がりつつある体を使って作り上げなくてはならないし、そうすればいい。つまり、胎児や乳幼児の段階で、体を使いながらいろいろな関係性を学習をしてゆけばいい、ということです。

脳の配線も人間の体の構造の一部だし、体だって他の部分と影響を相互に与えながら作られていくものなのだから、「生得的な脳の機能」というものを、どこかで線を引いて考えても仕方がないということかもしれません。

学習も、どこかの段階から始まって終わるるものではなくて、人間の構造を形成する、発生や成長の延長なのでしょう。発生や構造化のプロセスを、自分の体、親の体から、外部の環境へとだんだんと広げて自分に取り込んで行くということなら、「完成した状態」というものも無いのかもしれません。

そして、脳の機能が人間の体の形によって構造化されるものならば、人間のような体を持たないものが、人間のような心や知能を持つことはない、というのもこの本の主張の一つになっていると思います。

それでは、人間とは異なる体の形を持つものは、その形(外とのかかわり方)に応じて、人とは異なる心や知能を持つのでしょうか。話をする自動車や、引きこもってネットばかり見ている知能というのはありうるのでしょうか。そしてそういうものができた時に、彼らと対話することが、人間にはできるのでしょうか。それとも、人間と同じものだけを、知能と呼ぶことになるのでしょうか?

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『言葉をおぼえるしくみ』ちくま学芸文庫 今井むつみ 針生悦子

英語をはじめとする印欧語では、a や the 等の冠詞を付けたり、付けなかったりすることによって、材質と物体を分けていますが、日本語では、材質を表す言葉も、物体を指す言葉も、言葉の形の上では明確な違いがありません。
このような言葉の違いに対して、「材質と物体を分けていない言語の話者は、その違いを理解していない」と、哲学者の「クワイン」という人は言ったそうです。さて、本当なのでしょうか…。

また、中国語の動詞は日本語(5段活用)や英語(過去形、三人称)などのように、変化をしません。そのため子供はいつも同じ単語を聞くことができるので、中国語が母語の子供は動詞の獲得が早い、という意見があるそうです。さて、本当なのでしょうか?

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