チューリングマシンと同じ能力を持つ、「ラムダ計算」のはなしです。
「まんが/ラビリンス」カテゴリーアーカイブ
マンガ6.b「停止性問題」
コンピュータと不完全性定理の関係です。
プログラミングをしていると、同じところをぐるぐる回って、永遠に止まらないプログラム、というのを書いてしまうことがあります。当然いつまでたっても答えが出ないので、うれしくない状況です。
マンガ6.a「対角線論法」
少し戻って、チューリングマシンにできないことを見てみます。
チューリングマシンは「計算」をきっちり定義したものですが、カードの列で表せるものには限界があるそうで、すべての実数を表すことはできません。
マンガ5.g「計算機と意味」スワンプマン
言葉や記号の操作が意味を持つための条件をクオリアに求めるのは、クオリア自体についての意見が収集つかないため、なかなか難しいようでした。
そこで、話を少し戻して、意味は進化によってできてきた、という意見を見てみます。それがスワンプマンです。
マンガ5.f「計算機と意味」 ハードプロブレム
クオリアがあるのか無いのかが、こんなに問題になるのはなぜなのでしょうか。
ウィトゲンシュタインという哲学者は「xxとは何か」みたいな問いを立てて、「xx」について議論しているつもりになっているから議論が混乱するのであって、「xxという言葉」について議論をするべきなのだ、と考えました。この考えは、「分析哲学」という哲学の方法が起こるきっかけとなりました。
マンガ-5.e「計算機と意味」哲学的ゾンビ
いわゆる哲学的ゾンビ、の話です。
いくら外見の特徴を観察しても、本当に内面があるのかは分からない、直接の証拠にはならない、ということです。
マンガ-5.d 「計算機と意味」クオリア
「クオリア」です。
クオリアは、意識の質的側面のことだそうです。
そして、クオリアが無いから、コンピュータは意味を持てないんじゃないか、という批判もあるようです。ここは、指し示すものが無い、という話でつなげてみましたが…これでいいのかな?
マンガ-5.c 「計算機と意味」志向性
今回の、志向性の話もサールによる話です。
「計算機は計算をしているのか」という話と似た話で、記号の意味や指し示すものを外から与えられて、ルールに従って文字をごちゃごちゃ動かしても(統語論)、意味自体を作り出すことにはならないんじゃないの?(意味論)という問いです。
そのポイントとしているのが、記号が何かを指し示すための「志向性」という能力のようです。
マンガ-5.b 「計算機と意味」中国語の部屋
中国語の部屋は、サールという哲学者が持ち出した議論です。
この話はよく見るのですが、正直なんだかよくわからなくなる話です。本編にも書いたとおり、一見関係がありそうだが、論理的には関係のないことの様な気がしています。中の人が理解してないのがいけないのなら、理解できるようにすればいいですが、それに意味があるとも思えません。
マンガ-5.a 「計算機と意味」
もしコンピュータが、汽車のおもちゃと同じようなものだとするのなら、それが意味や意識を持つなんてことがあるのか?というお話をしばらくします。