本:『物の本質について』ルクレティウス・樋口勝彦訳 岩波文庫

古代ギリシアの原子論は、デモクリトス、エピクロス、ルクレティウス、と引き継がれましたが、実際に残っているものの殆どはこの本の著者ルクレティウスのこの本によるもののようです。

元はエピクロスの考えを詩にしたものだったそうですが、この本では普通の文章として訳されています。

 

正しい、のか?

しかしこの本、今の科学の原子論の知識で、正しいとか、間違っているとかを言っても仕方がなさそうです。

では…どうやって読んだらよいのだろう…。と思いながら読むことになりました。

世界を分割不能な原子に分解して、神を不要にして、原子同士の関係で全部を説明する…。

一見、現代の科学にも通じる考え、の様に見えますが、原子には鍵が付いているし、各々全て異なっている。月の大きさは見た目のとおりとし、星の運行は風で説明され、心は精神と霊魂の原子で説明し…、今の知識では正しいとは言えないような説明だらけです。

そもそも、現代の原子は分割不可能な基本要素ではなく、その先も分割不可能だとは考えられていないようです。

さらに、この原子論、結局のところ言いっぱなしで、実験で何かを観測したわけでも、確認したわけでもありません。化学反応の量の比率を予測できるようになったわけでもありません。(古代ギリシア人は実験なんてしません。)

役に立つ結論は、精神的な心構えくらいのものなのです。

どうもこれは、何かのアイデアを突き詰めたら一体どうなるのか、という本だと思うべきのようです。

 パルメニデス

こんな感じで色々とよくわからなかったのですが、同時期に『数学の想像力』という本を読んだところ、少しその意義がわかる気がしてきました。

古代のギリシア人は整数以外を数とは認めていませんでした。そのため、それ以上分割できない単位「1」が必要になりますが、こういう単位である「一者」という考え方は、古代のギリシア人に共通する考え方であったようです。

同時代の古代ギリシアの哲学者パルメニデスは、この「一者」について考えた結果、「あるものはある、無いものはない」と結論しました。つまり、全く変化することのない「あるもの」が、この世にはなくてはならない、ということです。

複数の物から構成されているものが無限に分解できるとすると、物がなくなってしまいます。であれば、それ以上分割できない「常にあるものがある」はずであり、それが結果として原子論につながってゆくようです。(その後プラトンは、なくならないものとしてのイデアを導入することになります)

こう考えると、デカルトが理性の優位から科学の正しさを保証しようとしたように、自然の全てを論理的に理解しよう、という考え方が科学の考え方の重要な一部であるがために、この原子論は科学的に見えてしまう、ということなのかもしれません。